【私が教師を退職した理由】正採用5年目で休職しました

咲月
咲月

こんにちは!ライター兼オンライン家庭教師の咲月です!

プロフィールをご覧になった方はご存知だと思いますが、私は在宅ワーカーになる前は教員をしていました。

しかも、わざわざ教員採用試験に合格し、正採用での雇用です。

なんだそれ、自慢か?と思う人もいるかもしれませんが、大学も教育系に進み、教育実習と教員採用試験を経てやっとなれた教員という職を、たった5年で諦めることになったというお話です。

辞めたことは後悔していませんし、どこかで間違ったとも思っていませんが、私が抜け出した世界で今も苦しんでいる人がいると思うと、こういう人もいたんだっていう記録を残してみようかと。

休職にいたる経緯

私と学校」でざっくり書きましたが、体調を崩して休職し、そのまま退職しました。

最初は1ヶ月、病休という形で休み始めました。

状況が改善していないからもう2ヶ月。

3ヶ月経っても厳しいから休職。

そのまま年度末まで休職し、静かに退職しました。

学校に提出した診断書には「抑うつ状態」と書かれていました。

抑うつ状態は、ストレスや身体的な状態など、さまざまな原因で気分が落ち込み、生きるエネルギーが乏しくなって、その結果、活動性が低下し、身体のさまざまなところに不調があらわれる状態です

抑うつ状態・うつ病・適応障害« つくばねむりとこころのクリニック (sleep-mental-tsukuba.com)

うつと聞くと、希死願望とか人に会えなくなるとかイメージの人もいるかもしれませんが、私はそういう症状は全くありませんでした。

自律神経失調症なんじゃないかと思って通院し始めたぐらいなので、今もイマイチ自覚はありません。

お医者さんが言っているし、実際それで体調改善したから、そうなのかなーという感じです。

(転院後に紹介状にはADHD傾向ありと書かれていたり、睡眠時無呼吸症候群の超軽度と診断されたり、今も結局何が原因なのかよくわかってないです)

今の体調

基本的には落ち着いて生活ができています。

今はだいぶ薬も減り、夜にちゃんと眠れるようになりました。

ですが、まだ天候に左右されやすく、気圧によっておでこがめっちゃ痛くなったり、日中に強い眠気に襲われてしまったりするのでシフトのある勤務は避けています。

気圧の影響を受ける人は「頭痛ーる」というアプリがおすすめです。

私も使っていますが、気圧の変動を先読みできるのでとても助かります。

あと、書店で私のような天候の影響を受ける人の本を見つけました。

Amazonで試し読みもできるので、よかったら画像のリンクから見に行ってみてください。

変化として面白いなーと思ったのは、ドライヤーがかけられるようになったこと。

元々怖がりだったんですが、教員になってから怖がりが悪化し、音で背後の様子をうかがえないドライヤーが怖くて使えなくなっていました。

実家に戻ってきてからも最初の1年は使えなかったんですが、最近試しに使ってみたら全然恐怖感がなくて驚きました。

制度としての休職

私が暮らしている自治体では、90日まで病休をとることができ、それ以降は休職という扱いになっていました。

病休も休職もどちらも私自身は家で休んでいるので感覚としては同じですが、制度として少しことなります。

病休は有給休暇の1つで、日数制限がある代わりに給料が全額支給されます。

休職は雇用の状態が変化し、給与の8割程度が支給されます。

(期間が伸びるとそれに伴って支給額も減額されていきます)

どちらも医師の診断書に既定の書類を添えて申請しました。

診断書の発行に2週間かかるのに、管理職から締め切りの2週間を切ってから書類を渡されて学校と病院の板挟みになった恨みはまだ忘れていません…。

実際の症状

「あれ?なんかおかしいな?」

と自覚したのは特支に移動してからでしたが、担当医の話では自律神経の乱れは子どものころから出ていたのではないかということでした。

いままで自覚していなかったんですが、たしかに言われてみれば心当たりはあります。

また、中学校勤務時代も、思い返してみればいろいろおかしな点はありました。

覚えている範囲で私に起きていた症状を紹介してみます。

子どものころ

昔から呼吸器の不調が多く、夜に寝るのが下手な子どもでした。

小学校の健康観察では、ほぼ毎日、風邪気味だと言っていた覚えがあります。

健康観察で元気と答えた時は、担任が思わず「珍しいな」と言ったです。

別になにか特別に体調を崩しやすいような習慣をしているわけでもなく、喘息など持病があるわけでもなく、理由はなく、ただ毎日微妙に咳が出ていました。

最近はだいぶ落ち着きましたが、去年までは年中咳をしていました。

また、1度だけですが、部活のストレスで自宅で過呼吸に陥ったことがあります。

あれ、怖いですね。びっくりするぐらい、息を吸うことも吐くこともできないんですよ。

本気でこのまま窒息死してしまうのではないかと焦りました。

寝るのが下手というのは、静かな暗い中で寝ようとすると逆に目が覚めて眠れなくなってしまうからです。

ちょっと子どもの頃に怖い思いをしたことがあり、そのトラウマなのか、目を閉じて寝ようとすることがすごく苦手でした。

なので、CDとかオルゴールが必須でしたね。

あとは、強くストレスがかかると胃にきます。

高校のときの担任がめちゃくちゃ怖い人で、そのプレッシャーで登校途中に何度か動けなくなっていたら、それ以来ストレスが胃にきやすくなってしまいました。

中学校で働いていたころ

私と学校」でちらっと触れましたが、人事関係で少し居心地の悪い思いをしていたというか…ぶっちゃけ、先輩との折り合いが悪くて孤立に近い状態になっていました。

パワハラだったのかなーと今では思いますが、当時は怒られているのかと周りの人から心配されるようなやりとりを普通の指示を受けていると感じているような状態だったので、たぶん麻痺ってたのではないかと思います。

今から考えると、挙動不審でしたね。

ざっくりいうと、以下のような反応が出始めました。

早朝覚醒

早起きはいいことのように思いますが、朝、おきたい時間よりもだいぶ早く起きてしまうという一種の睡眠障害です。

私はだいたい1~2時間ぐらい早く起きてしまっていました。

例えば、明日は30分早く出勤しようとか考えていると4時に目が覚めてしまうとか。

睡眠が足りていればいいんですが、出勤時間のころには眠くて眠くて仕方がなくなってしまうので、よく自分をビンタしながら出勤していました。

無意識に涙が出る・涙が止まらない

特に何か考えていたわけではないのに、突然涙が出てくることがありました。

職員室でも自宅でも、悲しいことを考えているわけでもないのに勝手に。

1週間ぐらい、涙が止まらなくて不登校になったこともありました。

寝付けない

眠いのに寝付けない、というのもよくありました。

ホットミルクを飲んでみたり、ヒーリングミュージックをかけてみたりしましたがあまり効果はなく、結局諦めて、寝落ちるまで起きていました。

気を失うように寝ると疲れが取れないと聞きましたが、実際に寝てても寝不足でしたね。

毎日目の下のクマが取れず、コンシーラー必須でした。

早朝覚醒と合わさって、そうとう睡眠不足だったと思います。

脱力

1度、追い詰められて大泣きしながらパニックを起こしてしまった後、指1本動かせなくなるぐらい脱力してしまったことがあります。

床が汚いと考える余裕もなく、壁伝いに座り込み、足が伸び、手もだらーんと下げた状態で動けませんでした。

指先も動かず、声も出せず、何もできず、糸の切れた操り人形のようになっているところを同僚に発見され、自宅まで送ってもらいました。

吐き気・嘔吐

高校時代から胃にきやすくなりましたが、社会人になってもそれは変わりませんでした。

むしろ、悪化していました。嘔吐することに慣れたのはこの時期です。

2年目の秋に、学校につけば何とかなるだろうと思って出勤したら、駐車場で今にも吐きそうになって動けなくなってしまったことがあります。

身動きも取れず、喋ることもできず、ただ時間だけが過ぎていったのを覚えています。

そのまま40分ぐらい経ち、遠くで予鈴や本鈴のチャイムが聴こえ、勤務時間になりました。

このままでは無断欠勤になってしまうどころか行方不明で騒ぎになってしまうと思って何とか電話をしたら保健室に移送され、その後数日間休みました。

管理職が、私に対する他の若手のあたりの強さを心配して指導しようとしていた矢先だったらしく、保健室で謝られました。

体温調整ができない

上記の動けなくなった日。

まだ残暑の残る暑い日だったんですが、寒くて寒くてしかたがなく、保健室で毛布を借りて包まって震えていました。

それ以来、人と体感温度が違うと感じることが度々あります。

恐怖心が強まる

もともとお化け屋敷とかホラー映画とかが苦手な怖がりですが、社会人になって悪化しましたね。

冒頭でお話したドライヤーが使えなくなったのもこの時期です。

いつもビクビクしているというか、校内の見回りでは物陰に過剰反応し、自宅では小さな物音に怯え、背後の音が聞こえなくなるドライヤーが使えなくなりました。

暴力シーンだけでなく、緊迫感のあるシーンでさえ耐えられなくなって海猿がかかっているだけでガチ泣きしたぐらいです。

特別支援学校で働いていたころ

環境が変わり、頼れる先輩もできたので落ち着いたように感じていましたが、ダメでした。

違和感を覚えて通院を始めた矢先、出勤中に反対車線のガードレールに衝突する交通事故。

それでも電車と徒歩で出勤していたんですが、度々動けなくなり、子どもの安全を保障できなくなったので子どもを事故に合わせる前に休職を決めました。

週末の発熱

まず、週末に体調を崩すようになりました。

微熱程度ですが発熱することもあり、参加していた勉強会には最初の数回しか行けなくなりました。

めまい

これが休職に踏み切った主な原因です。

最初は、朝起きた時のめまいでした。目が回って体を起こせず、年休。

特に病気はなく、寝不足でもないのに、昼ぐらいまで動けませんでした。

それが段々頻度が増してきて、最終的には職場でもめまいを起こすようになりました。

浮遊感というか、足元がぐらりとし、ジェットコースターに乗っているときのように方向感覚がわからなくなる感覚です。

特別支援学校という性質上、子どもといるときにめまいやブラックアウトをしてしまうことが事故に繋がる危険性が高く、2~3回校内で動けなくなった後に休職をしました。

ブラックアウト

ブラックアウト、という表現でいいのでしょうか。

立ち眩みと違って、立って活動している途中で急に視界がすーっと暗くなっていくんです。

視界の中央あたりにはわずかに明るさが残るんですが、暗くてぼやけて何も見えず、おさまるまでは動けません。

子どもといる時に何も見えなくなるというのは本当に怖かったです。

耳鳴り

耳鳴りは元々たまにしていましたが、頻度が増しました。

直接的な害はないんですが、聴覚情報が阻害されて困りました。

結構音で情報を得ているので、聴こえないというのが苦手なんですよね。

まとめ

抑うつ状態、と言われても、自覚はないです。

身体症状は自覚がありますが、精神的な影響が何か出ているとは感じていません。

ただ、強いて言えば、記憶がすごく薄いです。

上記のことはほんの数年の間のことですが、もう記憶があいまいになっています。

小学校と中学校の記憶は混ざっていますし、高校と大学の記憶も混ざっています。

大学何年生でどのアルバイトをしていたのかわからなくて、職歴にアルバイトが書けません。

あとは、感情が高ぶると泣いてしまうのがいい年して恥ずかしいです。

みんなは普通に働いて、耐えているのに、どうして私だけ、と悩んだこともあります。

もしかして、HSPなのかもしれないと思ったこともあります。

「繊細さん」の本とかも読んでみました。

とてもわかりやすいので、HSPについて知りたい方はぜひ読んでみてください。

画像からAmazonリンクに飛べ、試し読みができます。

でも、私は私としてなんとか生きていくしかないし、そういう私だからできることもあるのかな、と最近では思います。

これを読んでいるあなたが、同じように苦しんでいるのなら、一度受診してみるのも良いかもしれません。

私は休職して退職してしまいましたが、治療をしながら働き続けている人もいます。

薬や療養で症状が軽くなったり、普通に生活できるようになることもあります。

今辛いことが、病気のせいなんだって思えるだけで、楽になるかもしれません。

私は、診断名がついて、ほんの少しだけほっとしました。

咲月
咲月

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