こんにちは!在宅ワーカーの咲月です。
今回は、私が教員時代にやっていたことについてご紹介します
「自己紹介」でざっくりとした経歴は書きましたが、私の人となりの詳細の一部として、ブログの方でもう少し詳しくお話ししようと思います。
私は元教員です。高校生の頃から教員を目指し始め、大学は国立大学の教育学部で勉強をしていました。その後、非常勤講師をしながら教員採用試験を受け、正採用として勤務し始めました。
そんな経緯で教員になった私ですが、今は退職し、在宅ワーカーとしてフリーランスをやっています。
- 教員としてどんな仕事をしていたのか
- どんな日々を送っていたのか
- どうして辞めてしまったのか
今回は、そんな内容を記録としてお話したいと思います。
あくまで私個人の体験ですし、私が勤務していた時の内容なのでこれから教員になる人が同じ経験をするとは限りません。また、一部の記憶があいまいになっているので、はっきりとしない箇所もあるかもしれません。
教員に理想を抱いている人にとってはショックな内容かもしれませんが、噓偽りはありません。
教員になった理由
ぼんやりとした理想論のようなものですが、「困っている子供を笑顔にしたい」というのが私の原点です。
私は小学校・中学校のころ、あまり学校が好きではありませんでした。
田舎育ちなので田舎特有の「みんな知り合い」みたいな雰囲気が私には息苦しく、女子のグループ行動のようなやつがどうにも性に合わなかったため、友だちはいたし、クラスメートとも普通に遊んでいましたが、ふらっと1人行動をしていたのを覚えています。
親が地元で教員をやっているので、新年度になると各教科担任に「○○先生の娘さんね」と言われるのが大っ嫌いで、子どものころは絶対に教員にはなりたくないと言っていました。
特にいじめられてもないし、親にも恵まれて育ってきたと思います。
ただ、どうしても生きづらさを感じていました。
そんな時に出会ったのが日木流奈さんの本でした。
気持ちが楽になって、私が日木流奈さんの言葉に救われたように、私も誰にも言えない生きづらさを感じている子を笑顔にしたいと思いました。
ケーキ屋、小説家、教員と、目指す職業は変わりつつ、ずっと誰か1人でも笑顔にできることを探していました。なので、正直別に教員じゃなくてもよかったんですよね。
私が知っている仕事の中で、1番無条件に子どもに関われて、自分に向いてそうだと思ったのが教員だったというだけで、教員であることにこだわりはありませんでした。
こんなことを言ったら、教員を目指して頑張っている人に怒られてしまいますかね…
でも、そういう経緯で教員になったので、退職することには何の未練もありませんでした。
中学校でやっていた仕事
私は中学校数学で採用試験を合格したので、初任校は中学校でした。
勤務時間は8:10~17:00だったと思います(定時なんて意識することがなかったので…)が、実質は、7:30~20:00ぐらいが普段の在校時間でした。
ちなみに、この超過分は一切残業手当がついていません。
ここら辺の話はまた別の記事で書きたいと思います。
子どもとの関わりは辛くなかったし、教材研究も楽しんでやっていました。
ただ、長期休暇の時ぐらいしか休みがなく、週7日勤務で上記の勤務時間働いていたことと、同僚との折り合いが悪いことが原因で、身体症状が出るようになっていました。
・常勤職員の9割が男性
・職員のほとんどが採用5年以内か退職まで5年以内
という偏った人事だったのもつらさに拍車をかけた要因ですね。
若手仲間が私以外全員体育会系の男性だったので、若手の中で孤立していました。
担っていた文章については以下の通りです。
担任
主な仕事
- 日々の生活指導、生徒指導
- 家庭学習を通した学習支援
- 家庭学習ができない生徒の補習
- 学級通信の発行
- 成績処理
- 事務処理
- 教室の環境整備
元気な子の多いクラスだったので、毎日生徒を追いかけて走り回り、給食を5分で食べ、トイレに行く時間はろくに取れない感じでした。
ですが、子どもたちとわいわい過ごすのは楽しく、成長を一番近くで感じられるのが嬉しかったです。
些細な成長・行動でも褒めたくて、学級通信では所見に書くほどではないけど素晴らしかったことを載せて配っていました。
普段反抗的な子も発行を楽しみにしてくれていたり、保護者もよく読んでくれていたりして、大変でしたがやりがいがありました。
もう、親バカそのもので、子どもたちを褒め始めたら止まりません。
成績の所見書きがとても楽しい変わり者でした(笑)
反抗してくる子もいましたし、クレームをもらったこともあります。家出騒動も何度かありました。
不登校になる子が出てしまったときは至らなさに申し訳なくて仕方がありませんでしたが、保護者と協力関係ができていたのが救いでした。
副担任
主な業務
- データ入力、作成(Excel)
- 小テストの採点、再テスト準備、補習担当
- 受験、定期テストに向けた補習講座の運営
- 会計処理(学年会計)
- 担任の各種サポート
副担任は、主に担当学年の学年主任、担任、生徒のサポート役です。
アンケート集計やデータ処理、小テスト関係の作業などをしていました。
私は希望制の補習が好きだったので、部活熱心な自校の職員室では浮いていましたが、生徒たちが意欲的に取り組んでくれていたので楽しかったです。
荷が重かったのは会計処理です。
学校全体の会計は専門の事務員がいますが、学年会計は副担任の仕事でした。
心底、どうして会計専門の職員を配置してくれないのか、わからないぐらいに手間でした。
帳簿付けはExcelで管理していたのでいいんですが、窓口に行くのが最悪でした。
ATMで行えるのは通帳記入だけで、金銭の出し入れは4時にしまってしまう窓口にいかないといけません。(送金は3時まで)
手書きの用紙に、記入欄に書ききらないぐらい長い名前を書き込んで(途中から印刷フォーマットを作りましたが)、校長に学校印を押してもらい、学校から車で5分の窓口に行き、窓口で最短30分待ち、学校まで車で5分かけて戻る。
件数が多ければそれだけ時間はかかり、窓口で1時間以上待たされたこともあります。
これを平日の授業の合間にやらないといけないので、掃除や給食の時間に学校にいられなかったことも度々。
年度末の生徒ごとに返金額が異なり、100人以上の返還手続きは手書きでしかできず、1ヶ所ミスがあれば書き直して学校印をもらいに行かないといけないので、年度末の忙しい時期に数日がかりで行う仕事でした。
会計事故が起きれば最悪職を追われるのに、会計担当しただけで手当もつかず、評価にもつながらず、正直ただただ負担でしかありませんでした。
(会計の勉強なんか一切していないのに……)
吹奏楽部 副顧問
私は部活嫌いの教員でした!
どのくらい嫌いかよくわかる記事がこちら
⇒ 部活動を制度の面から考察してみた(作成中)
部活の利点もわかっていますが、正直、学校に押し付けすぎでしょ、と。
赴任前に吹奏楽部は嫌だとはっきり言っておいたのに、なぜか割り当てられてしまいました。
(楽器の名前さえわからない人が地区大会上位争いをしている学校の顧問をさせられる…それが学校です…)
基本的には、消耗品の売買、非常時の対応、イベント時のスタッフ、校外練習の設備管理、会計管理が副顧問の私の仕事でした。
今は決まりができて強制的に休みを取るようになりましたが、当時は土日は両方1日練習が当たり前、ホール練習や大会があれば日が昇る前に学校を開けて10時や11時に退勤する状況。
夏休み(5日間)と閉庁期間(年末年始、お盆)は休みでしたが、基本的に1年中イベントがあって毎日練習していたので、ずーっと学校にいましたね。
月に1日休みがあったかな……
半日休みになったときは奇跡だと大喜びした記憶があります。
職員室で、生徒から預かった微塵もうれしくない札束を数えながら、大きな窓から見える青空を見て、段々麻痺っていくのを感じていました。
個人で管理・運営する100万単位のお金の重さは精神衛生上最悪でしたね。
(毎日100円単位のお金の移動が複数人と複数回あったので、記録だけでも大変でした……)
会計事故を起こしたら最悪首が飛ぶからね、と言われた初任の春は一生忘れません。
環境教育主任
環境教育に関する主任を受け持っていましたが、年に3回の研修と、レポート作成が主な業務でした。
研修は、地域の関する環境問題を学芸員さんなどから学べるので、とても有意義でした。
勤務校が地元でなくても、地域のことについて知っている必要があるので、こういう研修はありがたかったです。
数学主任
数学科は4人在籍していましたが、初任2人、3年目1人、4年目1人の若手メンバーでした。
主任として、指導方針の統一や仕事の割り振り、記録などをしていました。
3学年分の学習内容・評価観点の打ち込み、成績処理を行うExcelデータの関数の管理などを行っていました。
小中一貫指導 数学担当
自校は小中一貫教育に取り組んでおり、私は小学校赴任教師をしていました。
定期的に小学校に赴き、授業に参加していました。
基本的にはアシスタントティーチャーとして参加していましたが、なかなか小学校の全教科担任制も課題があるなぁと感じました。
特別支援学校での業務
特別支援学校は、授業の準備がめちゃくちゃ時間かかり、毎日、児童を見守りながら隙を見て連絡帳に事細かに記録しなくてはいけませんでしたが、部活動がないというだけで心身の負担という面では大きく楽になりました。
また、研修会が多く、校外研修に参加する機会も増えました。
教員同士で行う自主講座では、自作教材などの共有が行われることがあり、とても刺激的な毎日でした。
担任
主な業務
- 日々の生徒指導
- 教科指導
- 全項目記述式の成績処理(Word、Excel)
- 授業用のPowerPoint(視力に課題がある児童にも配慮したデザイン)
- 画像をふんだんに使った通信の作成(Word)
中学校時代よりも児童や保護者との距離が近く、子ども自体の配慮事項が多いので、いつも気を張っていた印象ですが、子どもたちとのかかわりはとても楽しかったです。
成績処理は全項目記述式で、保護者が見えるフォントサイズ、保護者の理解力を想定した表現、保護者が求めたいる内容の把握、微妙なニュアンスの違いを表現するための言葉選びなど、一人ひとり違ったので難しかったです。
指導グループ会計
複数学年合わせた指導グループで教科指導を行っていましたが、その会計を任されていました。
吹奏楽部の会計ほど大変ではありませんでしたが、調理実習ひとつとっても、訪問教育で参加している児童の材料費をどうするかとか、料金を頭割りした時の端数はどうするかとか、いろいろ配慮事項が多かったです。
視聴覚部員
校務分掌で、視聴覚を担当していました。
主な業務
- 職員室の電子機器の管理
- パソコン、印刷機のトラブル対応
- PCが苦手な先生のフォロー
- 放送機材の操作
- 行事のプロジェクター、放送機材の設置
- メインサーバーの管理
- 学校HPの更新
- HP用の画像の加工処理(縮小、モザイク処理)
- 職員室の有線LANの管理
毎日のように、Word、Excel、PowerPointの質問対応をしていました。
あとは、ネットが有線だったので、接続が悪くなったLANのトップの付け替えや、接続不良の対応など。
学校HPの更新も視聴覚が担っていました。
全職員のPCがメインサーバーと繋がっていて、そこに不具合が起きると全員のPCが使えなくなるので、メインサーバーの管理・トラブル対応も視聴覚部員でしていました。
辞めた理由
体調です。
学校に提出した診断書には抑うつ状態と書かれていました。
もともと精神的な負荷が強くかかると体調に出やすい体質でしたが、正採用になってから身体症状が増えました。
はじめは、全身の脱力、週末の発熱、早朝覚醒などを抱えたまま中学教師を務めていました。
特別支援学校に異動したことをきっかけに良くなるかと思ったら、強いめまいと倦怠感で1週間ぐらい朝起き上がれなくなることを何度か繰り返した後、ついに職場でもめまいや耳鳴り、浮遊感が起こるようになりました。
突発的に起こって動けなくなるので、児童の命に係わる危険性があり、医者に行った結果、抑うつ状態と診断されました。
学年職員に打ち明けてフォローしてもらいながら1学期は勤務しましたが、不意に鼻血が出たり、めまいで動けなくなったりしているうちに、十分寝たはずなのに強烈な眠気に襲われている日があり、出勤途中、自損事故を起こしました。
段々出勤さえままならなくなり、学校から片道30分の場所にある私鉄を使って通勤するようになりましたが、結局移動中にめまいで動けなくなることが度々あり、2~3回、職場でまったく自力で動けなくなり、同僚に家まで送ってもらう騒ぎを起こしてしまいました。
医者の勧めもあり、管理職と相談した結果、休職しました。
休職して半年ほどは寝ているかぼんやりしているかの日々を過ごし、年末に高熱を出して寝込んでから目覚めたとき、「あ、私もう戻れない」となんか急に思って退職しました。
教員から在宅ワーカーになって
地方公務員という安定から真逆の状態になったので、心配してくる人もいましたが、収益は少ないながら、とても心穏やかに生活しています。
処方薬を飲まないと眠りが浅かったり、短時間で起きてしまうこともありますが、ずいぶん寝つきは良くなりました。
また、悩まされていためまいや倦怠感、強い眠気なども減り、日中仕事をしていられる程度には回復しました。
睡眠が不十分だったり、天気が悪かったりするとまだ体調は不安定になりますし、お昼寝を必要とすることもありますが、仕事ができるということをとても嬉しく思っています。
不安がないと言ったら強がりになりますが、普通に生活が送れているということが今は嬉しいです。
新しい世界で、スキルアップのために勉強しているのも楽しいです。
まとめ
暗く、長い話をつらつらとすみませんでした。
でも、もし読んでくださった方がいれば、今の教育現場の状況を考えるきっかけにしてほしいです。
この他にも細々としたことはいろいろやってきましたが、大まかには上記の通りです。
たぶん、私は教員としては変わり者だったんでしょう。
普通という枠に入れなかったんだと思います。
でも、そんな私から見て疑問に思っていること、課題だと思っていることが、教育現場にたくさんあります。
そういったことに関したも、追々記事にしていきたいと思います。
ちなみに、私のこれは教育界ではましな方だと思います。
私の知っている範囲だけでも、今年度、体調を理由に退職された先生を数名知っています。
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